※この記事は『インターネットマガジン1998年10月号』に掲載されたものです。

大容量光社会を作る仕事の数々

2005年へ光る道
復興の街・神戸に届けられた“未来”

未曾有の大災害をもたらした淡路・阪神大震災で、情報通信設備の復旧・復興作業の先頭に立った人物がいた。電話を使いたい人のために、まず一刻も早い復旧を行うこと、そして以前よりも信頼性の高い、新しい情報通信設備を作り上げること。彼を含めて復興に携わった人たち全員の願いは、今年3月に運用開始した神戸市長田区での日本初のπシステム導入で完結し、そして新たなステップに向けて動き出そうとしていた。

取材・文 喜多充成
Photo:Nakamura Tohru

神戸市長田区鷹取東第一地区。震災で大きな被害を被ったこの一帯は、通信インフラが日本一整った住宅街となった。住居表示のカンバンには中国語、韓国語、ベトナム語の表記があるところも未来的だ。写真の人物はNTT神戸支店副支店長の葦田正和さん。

どうしてもここを日本初にしたかった


現在のJR長田駅周辺。大規模な商業ビルと、ここには写っていないが更地や簡易なつくりの住宅との対比が、いまだに痛々しい。

神戸市長田区鷹取東第一地区は、阪神・淡路大震災でもっとも大きな被害を被ったエリアのひとつだ。火災で一帯のほとんどの家屋が焼失した惨状は空撮写真で何度となく取り上げられたし、在日コリアン、中国系、ベトナム系の人々が共存する地域として、震災と地域社会をめぐるテーマでも報道が多かった。地元の人にとっては不本意かもしれないが、ある意味でこの場所は、震災の象徴となってしまったのだ。
その鷹取東第一地区に、今年3月19日、復興のひとつの象徴となるできごとが加わった。
電話交換機から各家庭までの配線を、光ファイバーとメタルケーブルを混在させたシステムとする、NTTの「新光アクセスシステム」がサービスインしたのである。
これまでは構想だったり実証実験だったりした「新光アクセスシステム」が、月々の基本料金や通話料金の対価として通信サービスを提供する、現実の営業サービスとしてスタートした。その日本最初の地がこことなったのである。

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上空から見た長田区一帯の被災状況(1995年1月、毎日新聞社提供)

「震災後の火災のとき、類焼を食い止めた立木に囲まれたこの公園で、サービス開始を祝う式典を行いました。テレビ会議も3か所を結んで、スムーズな動画像をお見せすることができました。地域の世話役の方の中には『世界一のものを持ってきてくれて……』と、涙を流して喜んで下さる方もいらっしゃって……」
NTT神戸支店副支店長の葦田正和さん(トビラ写真)は、感慨深げにその記念すべき日を振り返る。この3月まで設置されていた「阪神復興臨時建設事務所」の次長として、「新光アクセスシステム」の、この場所への導入の旗振り役をつとめた人物だ。
「昨年の9月ごろに思い立ち、本社を始めあちこちに話を持っていったのがきっかけです。が、決して私が言い出しっぺというわけではありません。社内でも誰もが賛同し、地域の方や行政もたいへん協力的だった。これを復興の目玉のひとつにしたい、世界一のインフラを呼び込んではずみをつけたいと、みな願っていたからできたのです」
葦田さん自身、震源近くの垂水区の自宅で揺れを体験している。
「当時は勤務地が東大阪の支店でした。2時間超の長距離通勤なので、地震の起きた6時前にはもう洗面所に立っていたんです。本棚や食器棚はみな中身がぶちまけられましたが、家族は幸いみな無事で、まず会社に電話(24時間受付の113番故障係)し『いつになるかわからんがとにかく出社する』と伝言を残しました。その後、県内で一人暮らししている母親の無事を電話で確認して、つながった電話はこの2本だけでした。『ひょっとしたら半年ぐらい帰ってこられないかもしれない』と家族に言い残して会社に向かいました。山陰を回って、東大阪につくのに24時間かかりましたが、『技術畑で地元出身だから、復旧に加われ』と神戸に戻って復旧の仕事に入り、結局ほとんど家には帰れなかった」
被災したのも復旧・復興に携わったのも同じ人たちだったのは、他のインフラ事業も同様だった。それだけに、という思いは当然強くなる。

光と地下と分散化という通信インフラ復興の3つのポリシー


長田交差点(長田区北町)のコンビニ前の歩道の一角に、濃茶に塗られた中容量RTボックスのひとつが。

阪神・淡路大震災における電話インフラの被災状況は次のようなものだった。
地震当日、停電とそれに続く予備電源設備の故障により28万5千回線が発着信不能となった。翌1月18日の午前中にはこれらの回線は復旧したが、通信ケーブルの切断による回線被害数が19万3千回線。被災した電柱は3,613本、架空ケーブル335km、地下ケーブルでは26kmにわたった。家屋の全半壊、焼失を除く10万回線のサービスを回復させとりあえず電話が使える状況にする「復旧」は、ビジネスホテルを借り上げ食料は海から輸送などの手段を講じて全国からの応援部隊の助けを借り、1月末までに完了した。「工法無視、検査なし、とにかく繋げ」が、その時の合い言葉だったという。
そして「復興」が始まる。3月に入って「阪神復興臨時建設事務所」という特別組織が設けられ、ピーク時には300名、現場も含めれば1000名超、延べにして28万人が神戸全域の工事に携わった。
基本方針ははっきりしていた。「大容量で災害に強いシステム」である。実作業のレベルでいうと、これが「光化」と「地下化」、それに「分散化」という3つの柱になる。「光化」はいうまでもなく光ファイバーによるループ状の回線網。地下化に関しては、以前から「地下ケーブルは地震に強い」と言われていたが、実際に今回の被災率に30倍もの差があったことからその重要性が再認識された。また分散化は、複数の局側設備が同じエリアをカバーし、行政や警察などの重要回線には必ずバックアップ局が付くネットワークのしくみが取られている。
当初5年間の予定で設置され、約800億円の予算のついた「阪神復興臨時建設事務所」は、予定から2年前倒しの今年の3月いっぱいで組織が解散された。かくして神戸は、日本一災害に強く、日本一光ファイバー化の進んだ都市となったわけである。

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(左)ボックスの天板の「でっぱり」は、寝ころび防止が目的とか。
(右)800回線を収容する「超小型RTボックス」。公園などに置かれる公衆電話併設型もある。

復興工事が進む中で、今後全国的に光ファイバー化計画を推進する上で役立ちそうな、さまざまな機器も開発された。
そのひとつが「中容量RTボックス」という装置だ。ネットワークハブに当たるこの装置は、街角の舗道上などに置かれ、1基で400~500回線の電話回線を収容する。
普通に作れば、天井に近い高さのある大型のファイリングキャビネットほどの大きさとなるこの箱だが、小型化に小型化を重ね、最後は高さ90センチにまで背丈を低くした。
が、道路や歩道など公共スペースに置かれるため、行政との間での調整は不可避。美観を損ねたり、車椅子の歩行者に死角をつくったりしないよう「高さ50センチ」という条件を守らねばならなかった。
そこで、トリックのようだが、地面を40センチ掘り下げて、機器を収めるスペースを作ることにした。難しかったのは、熱を発する機器を収めているため、排熱のための通気が必要になるが、地面より低い位置に機器がくるので、高い防水性能も同時に要求される。水密と通気を両立させ、しかも夏場は手を触れられないほどの熱さになる過酷な環境に耐えるボックスが苦心の末開発された。
これはほんの一例で、他にも公衆電話と一体型で、非常時には臨時電話回線を壁から引き出せるRTボックスや、「とう道」(ケーブルを収める地下トンネル)を掘るための機械、地震で地盤が動いても中のケーブルを切らない地下トンネルの継ぎ目部材なども開発・使用された。
電話に限らず、神戸では電気もガスも水道の工事も多数発生、またビルや家屋の建設のため多くの車両が道路を通行する。長期間にわたって道路を占有して工事を行うことが難しいため、いかにして短い時間で工事を終えるかという工程上の工夫や、他インフラ事業者との調整にも多くの労力が費やされた。

FTTHへの“大いなる助走”が神戸から始まった


屋内に引き込まれる光ファイバーケーブル。

前述の鷹取東第一地区でサービスが開始された「新光アクセスシステム」を、NTTでは「π(パイ)システム」と呼んでいる。名前の由来は、電柱の上の分配ボックスから家庭へつながるケーブルが複数垂れ下がっている形がギリシャ文字のπに似ているからだという。
交換機から軒先までを光ファイバーで結び、電柱やビル外壁にとりつけられるONU(ISDNでいうDSUに相当する)という装置でこれを分割、メタルケーブルで各家庭に配線が引き込まれる。電話やファックスやデータ通信の使い勝手は以前とは変わらないし、基本料金や通話料金が高いわけでもない。
使う立場からすると、何が変わるのかといってもすぐには実感しにくい。だが、もし電話線の中を通ることができるなら、軒先から表通りまでの道は以前と変わらぬ路地かもしれないが、表通りに出たら、アメリカのフリーウェイ並の高速道路を大量のパケットがびゅんびゅん飛び交っている様子が見えることだろう。
将来必要が生じたときには、表通りまで出るわずかな距離の路地の道幅を広げさえすれば、大容量データの恩恵に浴することができる仕掛けが準備されたアクセス網。NTTの言葉でいうと「追い張り」すれば、すぐ家屋内まで光ファイバーが入ってくる。つまり“READY TO UPGRADE!”な電話線が、πシステムなのだ。
各家庭に光ファイバーが引き込まれるFTTHOME)はまだ近未来の話だが、FTTOFFICE)やFTTZONE)はすでに神戸では現実となっている。
葦田さんは「男冥利に尽きる仕事でした。最高のものを考えてプランを出し、予算がついて、それが目の前でみるみる完成していく。これはすごいことだったですね。こんなに早く、目の前で光化が進んでいくのを見られたのは、得難い体験でした」という。
πシステムも、そのほんの一部にすぎない。今年度の工事で導入されたのは、電話回線数にして500~600回線程度、行政上の住居表示区画でわずか4ブロックの、どこにでもあるありふれた住宅地域である。が、震災復興にもたらされた光が、いまこの瞬間も輝いているということに意味がある。


(左)アパートの壁面のONU(オプティカル・ネットワーク・ユニット)。
(右)震災後に竣工したオフィスビルには、複数のケーブル引き込み口をもつものも多い。

シルバーのテープが巻かれた筒状の塊が、柱上型ONU。光ファイバー1本を10本のメタル回線に分割する。

関連URL

兵庫県ホームページ 復興への道のり
jhttp://web.pref.hyogo.jp/hukkou/
NTT光ファイバ化計画ホームページ
jhttp://www.at-net.ne.jp/hikarika/main.html
新光アクセスシステム
jhttp://www1.nttinfo.ntt.co.jp/hqs/joint/j/1720.htm